2017年2月14日火曜日

サーフトリップジャーナイ 日本編

クルマの免許を取得してすぐにサーフィンを始めた。正確にいえば、高校生時代に親戚のお兄さんや、兄に連れて行ってもらったりしていた。なぜ、サーフィンを始めたか?そりゃ、サーフィンをやってりゃ、オネーチャンにモテるに違いないと思ったからだ。しかしながら、現在においてもオネーチャンにモテるワケも無く、
前乗りしてローカルのオネーチャンに怒られるぐらいが関の山だ。
   愛車セプターのダッシュボードには、サーフィンをやってる風に見せるために、家にあったBeach Combing Magazineが日に焼けて色褪せた表紙が虚しくカールしていた。
  そんなある日、暇に任せてBeach Combing Magazineをめくっていると、サーフトリップを無性にしたくなってきた。
  たまたま開いたページが『神津島』という離島。色々調べてみると誰かが『新島が代表的だが神津島という選択肢はシブい』という無責任なアドバイスをいただき、当時サーフィンをしていた俺含め3人と釣り好き友人の計4名でサーフトリップの計画したのだ。
  苦学生には、当然ながらお金が無いので、取っ払いの土木工事のアルバイトにいそしみ、釘を思いっきり踏んで、破傷風にならないようトンカチで足の裏をトントンやったり、2トンダンプで走行中に石を落としてしまい後続車の車に損害を与え賠償するなどしながら、何とかお金を工面できた。
    向かう先は沼津港。そこから神津島へのフェリーが出ているのだ。愛車セプターに3人分のボードと釣竿。ろくに試し張りしてないテントを突っ込み、初めてのサーフトリップに夢を膨らませいざ出発。 この試し張りをしていないテントが後に大きな災いとなって返ってくるとは、、、

  着いた沼津港で早速神津島行きのフェリーを確認すると、曜日によって各島に着く順番が時計回りと反時計回りがあり、我々が出港する曜日は神津島へは1番最後に到着という幕開けとなったのであった、、、

ちーん。続く!!

次回もyo-sk8放送局で!

2012年8月6日月曜日

浪漫飛行 後編

お元気ですか?ヤンチェン放送局START!!
前回までのあらすじ。
太郎は報われぬ恋と知りながら、和子と共に湯布院行きの片道切符を握りしめていた・・・・
台湾に降り立つと、GATEでは熱烈的歓迎!!と達筆で書かれた旗を持った台湾の先生や台湾の高校生の集団が迎えてくれた。
その中には、当然男女の同級生がいるワケで。あったりまえのコトだが女の子しか目がいかないんだな。それは、あらかじめ出発前に日本で、ホームステイ先は、男か女どちらを希望しますか?といういやらしい選択ができたので、迷わず女に二重丸をつけておいたのだ。女の子をよく見ると、カワイイ子、普通の子、カワイイ子、ゴリラみたいな子、普通の子、捕獲されたばかりのサルみたいな子と 様々な女の子がならんでいた。俺は出来ればかわいい子がよかったのだが、俺がホームステイするオンナの子はというと、うん、まぁ・・何というか・・その、ホントに普通の子なんだな。そして「カワイイ子がいいなぁ!」と仕切りに飛行機ではしゃいでいたヤツは、残念ながら捕獲されたサルと一緒に檻に収監されてしまった。
最初の日は、とりあえず全員で故宮博物院にいって翡翠でできた白菜やらを見たり(見たような気がする)観光地巡りを終えてホテル泊、そしていよいよ2日目からは、各ホームステイ先に別れていったのだった。
俺のホームステイ先の女の子の名前は、リンちゃんという名前なのだが、いきなり英語で話しかけてきた。彼女はバイリンガルで当然台湾にホームステイしてきた俺たちもバイリンガルだと思っていたんだな。
「リンちゃんごめんよ。俺は留年を免れる為にここにいるワケで。」と日本語でアンサーしたら、数秒間時が止まって、何事もなかったように時間は進みだした。こりゃとんでもないホームステイになると、2人が同時に理解したことに間違いはないだろう。
そして、彼女の家に向かって歩いていくと、その地区だけスゴイ擁壁で囲われていたり、 地区の入口にガードマンが立ってたり
どうやら彼女の家柄はかなりアッパーのようだ。
歩きながらリンちゃんがこのホームステイの間に、「日本のBUSIDOU(武士道)というものを教えて欲しい」という言葉に聞こえないフリをしながらリンちゃんの自宅に着いた。
放送局 「マンションに住んでるの?」
リンちゃん 「ううん。違うよ」
放送局「コレ全部?」
リンちゃん 「そう。さっ入って」
!!!!
とんでもナイ家に来ちゃったもんだ。箸の持ち方が良くない俺がはたしてこの家にホームステイできるのかな?!
中に入ってさらに驚いた。1階から4階まで吹抜けになっており(ホテルのエントランスように)そして4階から1階まで上手いんだか下手なんだか解らないが、何かの漢詩がものすごく力強い筆で書かれていた。掛け軸とは長さも大きさも全てが違い過ぎる!!コレを書きあげた習字の先生は、きっと腰痛になったことだろう。
リンちゃんはひとりっ子で、パパとママの三人。両親の人柄をみて、幸せな家族だってのはすぐわかった。しかしパパは仕事が忙しく、結局初日と最終日以外は会えなかった。
そして俺は、日本のどこに住んでて、家族が何人、チンピラ犬のどんぐりが一匹とか一般的な自己紹介をしながら時間が過ぎていった。途中なんで君は坊主なの?と聞かれたが
それはねB-BOYだからだよ、とアンサーしたが理解してもらえず残念だった。
夕方近くになって俺がヤッカイになる部屋を案内されて、ビックリした。一般的な家庭の俺にだって感じちゃうぐらいの狭さ!!(倉庫かな?)でも、俺にはこれぐらい狭いぐらいが丁度いい。しかもその部屋にはエアコンが設置されていなかった。夏に台湾へいったコトがあるリスナーならわかると思うが、夏の台湾はめちゃくちゃ暑い。あまりの暑さに(疲れちゃうから)昼間にお昼寝タイムを実施する会社もあるぐらいと初日の懇談会で言っていたのを思い出した。そしてこの夜俺は、初めて扇風機を強にしてタイマーもかけずに朝を迎えたのだった、、、、
明くる日。俺はすでに明けの明星から覚醒していた。なぜって?
それはね、扇風機をぶっ壊れるぐらいぶん回した結果、喉がめちゃくちゃに渇いてるのに冷蔵庫を勝手に開けれないからさ!
あうぅ、、 「お〜い!お茶 濃い味」をガブ飲みしたい!!
坂角総本舗ゆかりをバリバリ音を鳴らして噛み砕いて胃をたぶらかしたい!!
でも無理なの!だってココは台湾だもの!!その他にもアレコレ考察している間に時間も過ぎ、リビングから
「ゴハンですよー」と呼ばれて急いで駆け下りた。
朝食はトーストにサラダと洋風に。トーストにバターをバリバリと塗りたくりながら、あっ、ゆかりの音みたい。とおセンチになっていると、
「あんた。意外とお寝坊さんね。」
ぎゃふん!!えー。お言葉ではありますが、ワタクシ夜が明ける前より目ん玉ギラつかせておりました!!と言えるわけがなく、お得意の苦笑いだ。
朝食を終えると、、、マーヒーである。
ラークーをキャンツクにブチかましたリビングで、もやしっ子のように暇を持て余してダラダラしていると、リンちゃんがリモコンを渡してくれたので、チャンネルを切り替えていたら、
「ひとつ屋根の下 1」が放映されていた。しばらく観て、ちょうど兄ちゃんの妹役のノリピーが実の妹では無いこと、三度の飯より覚せい剤が大好きなことをカミングアウトされたシーンで俺は、トイレに向かった。リビングに戻ると、チャンネルが変わっていた。
「ん?」
少ししてから、リンちゃんが冷蔵庫に向かったので俺はまた
「ひとつ屋根の下1」に切りかえた。その後リンちゃんが笑顔で俺にドリンクを渡してくれ、その笑顔のまま俺の目の前でチャンネルを切り替えたのだった。ココで日台親善チャンネル争い(非公式)が開催されたワケだが、結果1582対2で惜しくも負けてしまったよ。
しかしながらこのリンちゃんたら、こういった目の前でいきなり切り替えちゃうカットインがちょくちょくあった。
その日の夜にリンちゃんが
「明日から旅行に行くから楽しみにしてて!!」といきなりおてんば発言。まぁでも室内温度19度の低温保存にも飽きてきたところだしね。うん。確かに楽しみです!
その夜は、リビングの南極のような寒冷地から、俺の赤道直下のような熱帯倉庫の温度差に体調を整えながら、扇風機は音速でブン回るのであった。
翌日。ママとリンちゃんと俺で、ヴァナゴンに乗り込んで出発。
途中で、日射病にかかるか、かからないかギリギリのラインのチャンジーとチャンバーをピックアップ。聞けばママのチャントーとチャンカーらしい。歴史的背景で台湾のチャンジーとチャンバーは日本語が話せる(歴史的背景については各自リスナーが勉強するように)ので車中の会話は面白かった。
ヴァナゴンに揺られること数時間。台東か台南か忘れたが着いたホテルはアッパークラス!!こりゃまたまいったね!!
GATEから入口まで左右タイマツで道なりに。こりゃまたまいったね!
受付を済ませて、ベタにホテルの中央にあるプールに飛び込もうとした時、リンちゃんが俺の前で人差し指だけを立てて左右に振った。
(このダメダメの仕草は、俺の友達がやったらぶん殴ってやるところだが、リンちゃんなのでそうはいくまい)
「プールに入るならスイムキャップを買わなきゃ」
今さら、プールやめるとは言えず買わされるハメに、、、
「ちぇっ。俺メッシュ派なんだけどな、、、」
ゴム製のスイムキャップを勢いよく被り、今度こそ入水!!
の!!!瞬間!!!事件が起きた!!
スイムキャップを買わせて頂いてる際に、リンちゃん親子が着替えていたのだが、、、
NOOOOOO!!!!!!
なんと、リンちゃんのママはわき毛がフッサフサだったのだ!
確か小学校の時にワイドショーで、わき毛の生えた女優が話題になって、俺は小学生ながらショックを受けたのだが、
まさか青春街道一直線のこの俺の前で、、、ママは化粧だってキレイにしてたし、服のセンスもセレブリティ。なのに、だのに、
動揺を隠しきれずに、まっまさかリンちゃんはねぇ、、、、とチラとリンちゃんに目をやると、、、、
ガッビーーーン!!!リンちゃんすでに育成選手!!!
リンちゃんは、おNEWの水着のようでもじもじと照れていたが、照れる場所が違うだろうに。リスナーのみんなに聞きたい。台湾はコレが普通なのか?それともココが異常なのか?それとも俺が異常なの?「別に自分のスキな格好だからいいんじゃね?」なんてゆとり教育的発言は、却下するとしてだな。
とっ!とにかく!俺自身としては理解できるお年頃ではないワケで(当たり前だが現在も)俺は、文字通りプールの底に沈んでしまったよ。
そんなこんなで、一泊二日のフッサフサ旅行も終えて、明くる日からのリンちゃんとの壮絶チャンネル争い(一部非公式)でコテンパンにやられた俺は、赤道直下のMy「巣」で
娯楽といえば、扇風機の風切り音で俺の声帯にビブラートがかかった変化を楽しむ方法しか術がないMy「巣」で、いつものように「ワーレーワーレーハー宇宙人であーるー」と扇風機と会話しながら最終日の夜を過ごしていた。
俺の不気味な声が不安になったのか、リンちゃんが入ってきた。
リンちゃん「眠れなくて」
放送局 「俺も暑くて毎晩寝れやしないよ。」
リンちゃん 「ここホントに暑いね」
放送局 「あんたの家だよ。こんなに暑いの生まれて初めて
だよ」
リンちゃんは、お構いなしに話を続けるのだが、次の言葉にビックリした。全ての言葉が理解できたワケではないが、大体次のような感じだ。
リンちゃん 「放送局って、何人ぐらい経験したことあるの?」
うーん。ついにティーンの会話が最終日になってようやく訪れてきたのだ。前編でも放送したように俺はその時、高校生にして1人暮らしという、高校生の潜在能力全てを超越して、言わばカースト制度のバラモン階級に属していたため、
そっ、そりゃあ、、まぁ、、ねえ、、、、
16歳の少年少女がワンルームに2人っきりになれば、真剣勝負のフルコンタクト組手が始まるワケで、、、
俺は正直にリンちゃんに応えた。誤解してほしくないが(誤解してもどーでもよいことだが)決して多くはない人数を言ったのだ。
その瞬間!
リンちゃん 「おーー!のぉー!!」
と小学生でも理解できるような仕草で、部屋を出て行ってしまった、、、、
放送局 「??!!??!!??」
ポツンと1人残されて結局そのまま朝を迎えたのだった。
俺は今でも悩んでいる。あの時俺は何を言えば彼女は、自分の部屋に戻らなかったのか?そもそも何のつもりで「巣」にきたのか?アンサーの人数が原因?(クドイようだか人数は少ない)
未経験のアンサーを期待していたのか?実は俺はホントはゲイで、50過ぎのオジサマしか興味ありませんって言ったほうがよかったのか?
いよいよお別れの朝。昨日のコトは何事もなかったように
リンちゃんが朝ごはんをつくってくれた。
そして玄関の前で
「ここは、放送局の家も同然よ。いつでも帰ってきてね」
と鍵を手渡してくれた。
そして空港からいよいよ大日本帝国に帰還するために、GATEを通過しようとした際、息を切らせながら、リンちゃんがお友達と見送りにきてくれたのだ。
そして機上の人となった俺は、窓の下に見える台湾が徐々に
小さくなっていくのを眺めながら、手渡された鍵を握りしめていた。そして飛行機も平行飛行になりしばらくして。
「?」
あれ?確かリンちゃんの家ってカード式の鍵だったような?
「?」
「勝手口かな?」
「?」
すると隣の真剣ホームステイ組の1人が、
「あぁ、鍵渡されたの?ホームステイの家族がよくやるよ。
それは親交の証で、ホントの鍵ではないのでありますよ。」
ずっこしーーー!!!そっ、そりゃそうだよねー。たかだか短期間で、もう会わないようなイカくさいイガグリ坊主にマジな鍵なんか渡すワケありませんよねー!!
でっ!でもさ、でもさ!俺はこうも思いたいんだよ!!
いつかこの鍵にピタリとハマる扉が目の前に現れてさ。
それで、その扉の向こうには太陽の光がさんさんと降りそそぐ海辺で、大人になったリンちゃんが、ほほえみながら手を振ってくれるんじゃないかなってね。
次回もyo-sk8放送局で!!

2011年12月25日日曜日

浪漫飛行 前編

年末ですね!
yo-sk8放送局 tune! tune!!

高校生の夏に俺は、最初で最後の経験をした。おそらくこの先も無いだろうし、自ら進んですることも無い。今日はそんなストーリーだ。
俺は中学を卒業し、春休みから1人暮らしを始めた。田舎からのこのこ出てきた俺は、6畳一間の1Kボロアパートで檻から脱走したサルのようにはしゃぎまくっていた。そして何よりそこは自由の象徴だった。高校へ入学してからは、フロンティア1mgを吸って涙を流しながら咳き込んだり、本来なら机の引き出しの奥や、ベッドの下に隠すべき本を堂々と本棚に陳列したりと、ティーンの生活は荒れ放題だった。田舎から街に出てきて、変な方向に行っちゃう典型的な例に見事にハマり、ろくに勉強もしなかった。そんなワケだから、テストでもほとんどの科目で赤点だった(国語と古典は別)そしてついに簿記と物理で0点を取ってしまったのだ。白紙や名前未記入ではなくて、マジな0点を。そして追試で0点。そして追追試でまた0点。そしてこの時点で、担任から留年するというコトを聞かされて愕然とした。留年!?おいおい!大学受験の予備校生とはワケが違う!!1番デリケートな時期の高校でダブるのは全てに取り残されるのと一緒だ。それだけは絶対に避けたい!と本来なら追試の時点で猛勉強するのだが、冒頭でしゃべったように俺は、六畳一間のサンクチュアリで勉強なんかするはずが無く、当時の彼女とイモムシごっこで忙しかったのだ。
他にも野球部員が何人かいたのだが21世紀枠で見事に脱出していた。ちくしょ、いいよなぁ。いつの時代も野球部は優遇措置で。
さらに追追追試を期待したが、仏教高校でも『仏の顔も三度まで』は通用しないみたいだ。
途方に暮れている俺に担任が、
『おい、放送局。放課後教室にのこっとれよ。これからの説明があるでな』
はぁ。留年の手続きでもするのかな。親になんて言おうかなと、そんな考えで頭がいっぱいになっていった。
そして放課後。夕暮れの太陽でオレンジ色に染まった教室で俺は、1人うなだれていた。担任が教室に入ってきて、早速。
担任『コレでお前の留年が決定したワケだが』
放送局『そのようですね』
担任『まぁ、勉強しなかったお前が悪いわな』
放送局『自分としましては、一生懸命勉強したつもりですが、力及ばずでした』
担任『親になんて説明するつもりだ?』
放送局『・・・・。』
担任『まぁ、留年を免れる方法が無いワケじゃない』
放送局『?』
そう担任が言うと、イスに座っている俺の前に立ちはだかり、俺を見下ろしながら、ズボンのファスナーを下ろした・・・。
となれば、ストーリーはとっても面白い展開になってくるのだが、現実はそんなに面白くはない。
担任『お前が台湾へホームステイすれば、異文化交流を深める名目で留年を免除してやろう』
放送局『マジなんですか!!行く行く行くー!!明日出発でもオッケーです!!』
やっぱり仏教高校だな。こうして仏様が天国から蜘蛛の糸を垂らしてくれたんだな。
後に知ったことだが、オーストラリアやアメリカはすぐにホームステイの定員が達成したがアジア組は定員割れしており、こうして定員を確保し、しかも本人の志願という形で集めたらしい。
そんなコトはどうだっていい!!オレは留年さえしなければなんだっていい!しかも台湾へ行けるなんて!!
こうして俺は、生まれて初めての海外が台湾で(台湾がどこに位置するのかも知らず)しかも俺には無縁と思っていたホームステイ(思ってもいなかった)が決定したのだ!!さぁこのホームステイが吉と出るか凶とでるか、はたまた狂とでるのか?!
続きは次回のヤンチェン放送局で!!!






2011年11月1日火曜日

ネーホー

tuneしてくれてますか?yo-sk8 放送局START!!

いやぁ、アイツとまたケンカしてしまったよ。アイツとは、ここ最近仲良くしていたんだが、少しのすれ違いで大爆発さ。3年前のstyle8キャンプでも。今のポイントではなく、もっと東よりのトイレもシャワーも電波も届かないno-lifelineで、ずんどこずんどこ、わーきゃー わーきゃーしてる最中に、俺は1人でアイツと殴り合っていた。そして、つい先日もアイツとやっちまったんだな。
アイツとは、『魚の骨』のことである。
コイツが俺の無防備な『のど』に、ぶっ刺さってきたのだ。それも知人の家で。
その日は、知人の家でサンマをご馳走になって調子に乗ってがっついて最後の方になって、のどに違和感が感じられた。
ん?骨がのどにひっついたかな?ゴハンでも飲み込むかな・・・。と軽く思ってねちねちとしたゴハンを飲み込んだ。しかし、ねっちりゴハンは残念ながら骨をからめ取ってはくれず、ゴハンはのどをスルーしていった。ねっちりゴハンを飲み込むコト数回。助っ人のねっちりゴハンもむなしく依然として骨は、俺ののどでぷんすかに怒っていた。この時点で、あっヤバイかな?と心配になってきたが、この知人宅の団らんタイムを俺の一言で壊したくない思いでニコニコしていた。しかし!骨が動くのか、のどの粘膜が異物を取り除こうとするのかは不明だが少しづつ骨が移動してる感じがして、しかも骨の先端がのどちんこをいたずらに刺激したのだ。たまらず吐き気が込み上げてきた。マズイな・・・・コイツは俺に真剣勝負を挑んできたのだ。
『少し外の風にあたってきます』
と、立食パーテーの時ぐらいしか使わないアメリカナイズなセリフを発言し、知人宅の皆さんに変な空気を漂わせ、たまらず外に出た。
の瞬間!俺は右手の短い指をピンピンに伸ばし、思いっ切りのどに突っ込んだ!!
とても文章では表現出来ないほどの声を震わせ、そうだな怒りと苦しみと悲しさと、思いっ切り吐ける少しの喜びが混ざりに混ざった声と言えば理解できるかな?
最近、魚の骨とごっつんこしたリスナーは分かってくれると思うが、指を突っ込んだ時に指の先に魚の骨があたった感触は、
何とも言えない感じなんだな。だってかなりしっかりと刺さっているのだ。指をズブ刺しするコト、10回以上!!全然取れん!!時折、猫や犬が舌で毛づくろいして
口やのどに引っかかった毛を吐き出すように、『カッ!カッ!』と吐き出す真似をしても人間には通用しないみたいだ。さっき食べたサンマも、ねっちりゴハンも全て戻して(逆流作戦も失敗に終わる)秋の寒空に1人たたずみ、キレイな月を見上げながら、もう病院に行くしかないかなとあきらめかけたその時、俺の頭に電球が光った。
『歯ブラシで思いっ切りかきだしてみよう』と、そのままクルマに常備されている使い捨て歯ブラシで、積年の恨みを晴らすかの様に、そしてのどちんこが取れるんじゃないかと思われる勢いで、思いっ切りかき出した!!すると!!!なんと!!
たった一回で見事に取れたのだ!
戦いはおわった・・・12ラウンドにして俺は勝利を勝ち取ったのだ。魚の骨とは、
友情にも似た奇妙な感情を共有し、その場で別れたのであった。
食べた物全てを吐き出し意気揚々と知人宅に戻り、先ほどアメリカナイズな発言をして変な空気を漂わせている俺は、さらにその空気を濃くしたのであった。
『何か食べるものありますか?』


次回もyo-sk8放送局で!!




2011年10月15日土曜日

ムラミタのヒコクニ

天気は雨でもyo-sk8放送局エリアはレーハーです。yo-sk8放送局スタート!!

何年か前に仕事を終えてクルマで帰宅していると、実家のチャンカーから着信があった。宇多田ヒカルの曲にちなんで7回目のベルで電話に出ると、電話の向こうの声は男性の声である。
相手  『もしもし、yo-sk8放送局さんですか?』
放送局 『ええ。どなたですか?』
チャンカーのケータイからなので間違え電話でもないし、チャンカーの不倫相手でもなさそうだ。
相手  『私、ミタムラといいます。』
放送局 『あっ、どうも。ミタムラさんですね』
おれの友人、知人にはいないので、恐らく初めてなのだが、それに加えてチャンカーのケータイからの知らない男性なので、やっぱり不倫相手かな?と少し戸惑っていると、
相手  『私、ミタムラクニヒコといいます。一応芸能人です。』
えーーーーーー!!!???ミタムラクニヒコっていったら、『必殺仕事人』やら『渡る世間は変態ばかり』に出演してたあの、ミタムラクニヒコ!!??
放送局 『マジですか?』
相手   『マジなんです。今から実家に来てください』
電話を切ってから、心臓がバクバクしてきた。なぜチャンカーのケータイから、ミタムラクニヒコがでたのか?ということは今、一緒にいるわけ??え?なんで?いたずら?
俺はこの時ほど、頭の中に『?』が並んだことは無い。とにかく意味がわからないのだ。
実家へクルマで向かっていると、チャンカーから入電。早く来いとのこと。うっさい!うっさい!今むかっとるて!んでさっきの電話の内容を問いただすと、
今『田舎に泊まろう!』が家にきてて今晩ミタムラクニヒコが泊まるからねって・・・・
!!!!!????!!!!ついに俺の頭はパニック状態に!!!
『田舎に泊まろう!』ってやらせじゃないのぉ!!!??? そして何よりなぜ、俺の実家に??!!
俺はこの時ほど実家に帰るのに、心配と照れと恥ずかしさと少しの期待が、くんずほぐれつしたことは無い!!!多分最初で最後だろう。んで実家につくと、家の前にロケバスらしきバスが駐車されており(家でだれか亡くなったの?と電話が入ったらしい。さすが田舎。)家の外からみると、普段見慣れない、カメラマンと明るい照明と長いマイクを持った撮影クルーとその中心には、本物のミタムラクニヒコが実家の居間に座っていたのだ。
突然の来客にびっくりした実家の『チンピラ犬どんぐり』もさっきからシャウトしっぱなしだ。
ちょうどヨネスケタイムで晩御飯が用意されており、すぐ前にカメラとマイクと照明を照らされて、はいっ食べて下さいって、食えるわけねえだろ!!しかし、だんだん時間が経てば、ようやく落ち着いてきて改めて本人を見ると、やっぱり背も高くてカッコいいんだな。周りが一般人だから、より一層目立つという事ではなく、やはり雰囲気があるんだな。
そしてミタムラクニヒコから色んな話を聞かせてもらった。役者になる決意をし、親父に伝えると猛反対をされ、勘当同然で家を飛び出したまま、ほとんど連絡をとれなかったことや、子供が全員男で大変だねとか、今度釣りでどこそこへ行くのが楽しみだの普通の人と会話をしているみたいで、テレビの中とは違う一面を見た。そりゃ同じ人間だもんね。
そしてさらに場もなごんでいき、家のなかでは笑顔と笑いがあふれていたのだが、外の『デスペラードどんぐり』は、シャウトしっぱなしで鳴き止む気配は無い、そこでミタムラクニヒコが、『よしよし、もうなくな、なくなと手を近づけた。とその時。ガブリッと見事に噛み付いたのだ。ミタムラの手の平には、しっかりと犬歯が突き刺さった痕が・・・・。あわてて、スタッフ、家族で離して家の常備薬のオキシドールで消毒をしていたが、使用期限が4年過ぎていた。そんなこんなで時間も過ぎ。夜も更けてきたので俺は帰ったが、実家では、その日分は撮影終了し、ミタムラとスタッフとチャンカー、チャントーで夜中まで騒いだらしい。
そして、放送日を迎えいよいよ放送がはじまった。全国ネットで実家の外観やら、居間やら、台所がテレビの中で映るとゆうのは、なんか変な感じだなやっぱり。では自分自身が映るのはどんな感じなのかと言うと!!なんと!!俺の場面は一度も出ず!オールカット!!最後の最後で写真加工されたスナップ写真で0,2秒静止画で映っただけだった。(しかもセピア色)
ずこーーーーっ!!リスナーの諸君!これぞノンフィクションってもんさ!!
ミタムラクニヒコへ もう2度と会わないかもしれないが、お元気で!!俺はここにいるぜ!!

次回もyo-sk8放送局で!!








2011年9月25日日曜日

B級映画は眠らない

お久しぶりですね。yo-sk8放送局スタート!!!!
リスナーの皆は連休の最終日をいかがお過ごしかな?俺は、先週と今週の3連休は家庭の事情により、ずっと家にこもり、もぐらデーを決め込んでいたのだがその際に、心の奥底に封印していた虫がザワついてしまった。それは『B級映画探求』である。大学時代(南山)から続けているのだがこれほど
小銭を無駄にする贅沢な趣味も無いだろう。誰だって感動する映画は?と聞かれれば『ショーシャンクの空に』や『グリーンマイル』だのと、まぁ好みは人それぞれだが、確かにねぇとうなずくリスナーも多いんじゃない?ただ、俺は愚かなことにとんでもなくクレイジーなB級映画をどうしてもチョイスしてしまうのだよ。ましてや新作だったりしたら、それこそ超1級のキャスティングと宣伝広告を打った大作と同じレンタル料金を泣く泣くペイしなけりゃならないのである。では、俺の好きなB級映画ってなぁーに?になるのだが、それはモンスターパニック物や、訳がわからないSF物だ。とにかくジャケットの表にビルほどの大きさのマークーや、船に大きな口を開けているメーサーを見ると、もうそれだけでドキドキしてしまうのだ。ジャングルの奥地に潜むビーヘー物なんて、たまらんよ。そしてこのモンスターパニック物の流れは、まず次の流れでほぼ全てのストーリーが完結する。
『突然変異で巨大化(科学実験含む)』→『科学者と軍人が捕獲に向かう(科学者の一人は首謀者)』
『黒人が真っ先に食われる』→『白人も何人か食われる』→『女といいヤツと首謀者が残る』
『いいヤツと首謀者が大立ち回りの末に首謀者が食われる』→『爆破でフィックス』
ほぼコレで間違いなく進行するが、たまに爆破後に安堵の表情を浮かべている生き残りの背後にもう一匹現れてラストもある。
そんなB級映画でも意外と根強い人気があり、シリーズ化もされている『ゾンビ・DEADシリーズ』だ。
ゾンビというと、MJの『スリラー』にもあるように墓場から這い出し、ゆっくりとせまり、ピストルもきかず追い詰められて行く様を恐怖とするものだが、DEADシリーズは、とにかくゾンビが速すぎる。むちゃくちゃなスピードで走ってくるのだ。これはゾンビ映画のニュースタンダードになりつつある。いや、シリーズ化の時点ですでに定着しているのかな?
次に『アーマゲドン』だ。『アルマゲドン』では無く『アーマゲドン』これも凄い。内容としては地球に急接近している巨大な隕石を選ばれた勇士たちが巨大隕石を爆破し帰還するというミッションで、一見すると感動大作の『アルマゲドン』と同じなのだが、まず『アルマゲドン』では隕石に着陸したり、決死の覚悟で突入する場面では、最高の映像と音楽で迫力の演出を感じることができるが、『アーマゲドン』では、突入と着陸では、な、なんと、地球の司令室の場末感たっぷりの緑色のドラゴンレーダーみたいなパネルに隕石とシャトルがドットで表示され、ピッ ピッ ピッと近づき、そしてコチンッとぶつかるという、ファミコン並みの演出で迎えてくれるのだ。そしてココからがB級映画の真骨頂!!!爆弾を仕掛けている隊員の背後からバケモノが襲いかかってくるのだ。
この瞬間からアーマゲドンワールドが炸裂していくのであった。
最後にこの連休で100円レンタルした作品を紹介しよう。
『エイリアン IN キューブ』 ジャケットにはあのエイリアンの象徴ともいえる後頭部が後ろに大きく反り返った横顔が大きくアップされており、期待できる。内容も出口が閉ざされたキューブと化した地下基地で取り残された人間とエイリアンの生き残りを賭けたストーリーなのだが、最初から最後までジャケットのエイリアンは登場せず、ゾンビ対人間の物語だった。
今、俺は上を向いている。なぜかって?下を向くと涙がこぼれちゃうからさ!
次回もyo-sk8放送局で!!!




2011年9月3日土曜日

Young Gunz

夏休みが終わってしまったが、まだまだこれからですぞ!yo-sk8放送局はじまーり!
今日のお話は、少々マニアックで、興味の無い方は理解に苦しむかも知れないが、俺の放送局は常に、独断と偏見でお送りしているのでまぁしょーがねーやな。
俺は小学校低学年から思春期にかけて場合によっては今でも、とある物に異常なまでに興味を示していた。
それは、小学校低学年の男子である。というのはウソで、それはgunである。正確にいえば、BB弾で発射するオモチャのピストルである。男なら一度は興味というか、物心ついた時には、オモチャ箱になにかしら入っていたんじゃねーかな?その延長で俺は、特に小学校時代は、頭の中をソレで支配されてしまった。とにかく、ピストルに夢中だったのだ。映画のダイ・ハードや、プレデター、ロボコップ等、ピストルが出てくる映画ならほとんどのピストルの名前が当てれたし、解らないピストルがあればピストル図鑑や、月刊コンバットマガジンで確認と復習もした。しかしながら、実銃(持てるか)やモデルガンよりも特に、BB弾の出るピストルが好きだったのだ(ここからがすごくデリケートな部分)当時小学校時代は、AIRコッキング式で、マガジンに装填したBB弾を一発打つたびにいちいち、ガチャリと次弾を送り込まなければならなくて、(連射が出来ない)打ってもバネのチカラなので飛距離も伸びず、そもそも安価でプラスチック部分が多く、対象年齢が10歳以上とまぁその当時の俺の年齢では身分相応ではあった。しかし、そこにはネクストレベルがあり、そこにはガスガンという領域があったのだ。不燃性のガスをマガジンに充填し、バネの代わりに、圧縮ガスでBB弾を飛ばすという小学生の俺には訳が解らず、しかもその科学のニオイがプンプンするガスガンは金属パーツをふんだんに使用し、重量感もバッチリで、何よりも
連射(フルオート)が出来ることに気が狂いそうなほどの衝撃が全身を駆け巡った。
しかし、そのガスを使用するという特性上
対象年齢18歳以上という小学生の俺には、どうひっくりかえっても所有出来ないという現実を受け止めるしかなかった。
ジャスコに買い物に行っても、ガンSHOPコーナーの前で、時間の許す限り穴が空くほど眺め、余りに動かずにガスガンコーナーでジッとしている田舎ザルをふびんに思ったのか、店員が俺にガスガンを持たしてくれ、小っちゃな手では握りきれない大きさと重みと鉄のニオイは、今でもこの手に覚えている。(実際は忘れたが)
そんな俺が大学(南山)に入学して、18歳になったらもう大変!!手当り次第に手にいれていった。不思議なことに、hip hopを聴くヤツって、ピストル好きが多いんだよな。現にWOOFIN やFRONTってhip hop雑誌でも特集してたし、アメリカの銃社会が影響してるのかはわからないが、そんな中でも友人の松井君は何故か、
『あぶない刑事』のタカのタカカスタムというモデルを買い、(このチョイスがすでにあぶない)故障したので修理に出すと、SHOP店員に『これタカカスタムじゃないよ』ともっとあぶないアンサーを返されたというエピソードがある。よくよく考えてみると俺の周りには、ピストル愛好家が意外と多いんだよな、ジャイケルマクソンのkassaなんて今でも現役だし。そして、そんなピストル好きをさらに崇高なまでに昇華させて、ついにアメリカでビジネスをSTARTさせた日本人がいる。その方とは、渡米前でもなかなか会うコトができず、会食で1度、電話で2〜3度話しただけだったが
アメリカはアリゾナ州で射撃場をOpenしたのだ。一見、アメリカで射撃って当たり前じゃないの?っと思われがちだが、リスナーが想像する、ハワイやグアムにあるような室内射撃場で人型のマンターゲットにパンパン撃つ訳ではない。アリゾナ州という広大で、荒々しいフィールドで思う存分撃ちまくるというSystemなのだ。そして注目すべきは、レプリカでは無く本物の旧日本軍の銃のラインナップがスゴイのだ。ビジネスをSTARTする前に氏よりラインナップ予定の資料を見せていただいた時から、氏の旧日本軍の銃への熱意が伝わってきた。敵国アメリカで旧日本軍の銃をぜひぶっ放してみたいものだ。
詳しくは、『ガンシューティングインアリゾナ』で検索してほしい。

最後にどうでもよいが、俺が買ったり、貰ったり、借りパクしたりと所有している
ピストルを紹介しよう。興味の無いリスナーはこの先は意味は無いよ

Colt Python357 4in
Colt King Cobra 4in
S&W M19 6in
S&W M49 2in
Glock 17
Glock 19
Glock 23
Colt Government M1911A1
Beretta M92F
Beretta M93R
Walther P38
H&K USP
Steyr AUG
Colt M16A1
H&K MP5A5

以上!!次回もyo-sk8放送局で!!
ヤマモトサン オゲンキデスカ……